【ものづくり黄金期の舞台裏】職人と共に歩んだヨコハマカービングの青春時代(第2話)

高度経済成長の熱気の中で

1960年代、日本は高度経済成長の波に乗り、街全体に活気があふれていました。テレビが普及し、自家用車が増え、誰もが「明日は今日より豊かになる」と信じていた時代です。
しかし、その一方で、伝統的な手仕事の世界にはまだ戦後の空気が残っていました。


若き等雲先生、家業を継ぐ

等雲先生が家業「ヨコハマカービング」を継いだのは、1964年・東京オリンピックの年です。
まだ20代前半でありながら社長を務めることになりましたが、長年腕を磨いてきた熟練職人たちをまとめるのは容易なことではありませんでした。

学校終わりに作業場へ入り、木を削り、時には集金にも走っていた少年時代――。その延長線上に、今度は「経営者」としての役割がのしかかってきたのです。

顧客対応、納期管理、ときには怒号も飛び交う職人同士の調整、そして新しい取引先の開拓。
先生は毎日、工房の空気の中で試行錯誤を重ねながら成長していきました。
睡眠時間は数時間しかない、充実しつつも過酷な日々でした。


広がる仕事 ― 観光土産から海外輸出まで

鴨猟のデコイのイメージ(これは他社品です)
デコイ – Wikipedia

この頃、日本では観光土産が盛んになり、木彫りの需要が増えていました。ヨコハマカービングにも全国の観光地や企業、さらにはデザイナーからの注文が相次ぎます。

七福神や能面、馬の置物、動物の模型――。中でも印象深いのは、カナダ向けに製作した鴨のデコイ(囮)です。

鴨に警戒されないよう、本物に限りなく近い形状と重量バランスが求められる高度な仕事でした。
特に、水面に浮かせたとき自然な揺れ方を再現するため、内部に仕込む金属の重さと位置をミリ単位で調整する必要がありました。

先生は夜遅くまで何度もテストを繰り返し、理想的な構造を導き出したといいます。

こうした精緻な技術が評価され、デコイの注文はやがて500個ほどにまで膨れ上がりました。大量生産といっても機械では再現できない繊細な工程が多く、一体一体に熟練の技が注ぎ込まれた“手仕事の量産”は、まさに職人集団だからこそ可能なものだったといえます。

さらに当時の日本では、鳥の姿を写実的に木で表現する文化がまだ一般的ではなく、等雲先生たちのデコイ製作は、国内におけるバードカービング(鳥の木彫)の先駆けだった可能性もあります。海外の高度な要求に応えながら培われた造形力と観察力は、のちの先生の作品づくりにも深く息づいていくこととなりました。


高価な西ドイツ製木彫機との出会い

コッピングマシーンによる粗削り
手作業で仕上げた般若面

仕事が増える中、導入されたのが西ドイツ製の大型木彫機「コッピングマシーン」でした。
家が500万円で買えた時代に3,000万円という高価な機械です。

ただし、もともと海外の硬い木材用に作られていたため、日本の檜には刃が合いません。
そのため先生は自ら刃の角度や回転数を調整し、最適な状態へと改造しました。

当初は「勝手に改造された」と憤慨していたメーカー担当者も、実物を目にするとその完成度に驚き、むしろ技術力を称賛するほどだったといいます。このエピソードは、ヨコハマカービングの“技術の底力”を象徴する出来事でした。


広がる制作範囲 ― 玩具から世界的デザインまで

ヨコハマカービングは単なる民芸品だけではなく、
・玩具メーカーの試作品
・キャラクター造形
・秘密箱などの雑貨
・産業向け立体デザインのモックアップ
など、多岐にわたる制作を担っていました。

図面やイラストを見ただけで形を立ち上げる――。
そんな高度な立体感覚を持った職人は当時ほとんどおらず、ヨコハマカービングの名は広く知られるようになります。

特に印象的なのが、ドイツの著名デザイナー ルイジ・コラーニの眼鏡フレーム試作を担当した仕事です。
有機的で流線的なデザインを木で再現するため、先生は夜中にデザイナーと打ち合わせ、翌朝までに試作を仕上げる日もあったといいます。

ルイジ・コラーニ
ルイジ・コラーニ – Wikipedia
コラーニがデザインしたトラクタヘッド
ルイジ・コラーニ – Wikipedia

「昼は社長、夜は職人。寝る時間なんてほとんどなかったですね」
と笑って話されますが、その裏には並々ならぬ探究心がありました。


日本のものづくり黄金期を支えた職人精神

時代はプラスチックへと移行していきましたが、それでも「人の手で作る温かさ」が求められていた時代です。

先生は次のように語ります。
「日本人は器用ですよ。木を前にすると集中力が違う。あの感覚は他国の人にはなかなか真似できません。」

小さな町工場が、世界とつながり、伝統の技で勝負していた。
それが、ヨコハマカービングの青春であり、日本のものづくりの黄金期を象徴する物語でもあります。


次回予告 ―【転換期の決断】木彫職人の技を未来へつなぐ等雲先生の選択(第3話)

プラスチック化の波が押し寄せる中、
先生は会社の未来を見つめながら、やがて「教える」という新たな道を選ぶことになります。
その決断に至るまでの葛藤と、未来への思いを描きます。


投稿日

カテゴリー:

投稿者:

タグ: